書籍名

  「スティーブ・ジョブズ神の交渉力」       

*このやり口には逆らえない!

  2008年6月5日第1版発行 

   発行所:株式会社 経済界

  著者:竹内 一正     ISBN978-4-7667-1048-9

 

2.内容

― まとめ ―

 スティーブ・ジョブズはアップルの創始者として良く知られているが、その強烈な個性が災いし、まわりからは受け入れらず、何度も事業的に失敗に憂き目を見ている。彼の成功の原因は、その卓越した交渉力により失敗の淵より這い上がり、「トイストーリ」や「ファインディングニモ」などのヒット作のCGアニメのピクサー社を立ち上げ、さらには新しいライフスタイルを創造した「iPod」「iPhone」や「iPad」など数々の事業を成功させている。

 

運がよい人だけが成功を手にするのでは無い、ピンチを乗り越えようとする強い意志を持つ者だけが道を切り開くのだ。その強力な武器は交渉力である。彼の交渉力は、味方には百万の勇気を与え、敵には恐怖の嵐を起こす。策略は神の如く大胆で、非常識さは悪魔のようだ。世間が不可能だと信じる交渉さえ可能にする。

本人が述べる、その交渉力の真髄は

 (1)「言い方」は「言い分」より交渉を支配する

 (2)弱い味方は潜在的な敵方である

 (3)妥当な案より「不当な案」で交渉を動かせ

 (4)最善の説得術は棍棒(こんぼう)でたたくことだ

 (5)楽観は考えなしだが、悲観は能無しだ

 (6)失敗と思わなければ決定的な失敗ではない

 (7)「待ち」は勝ちの重要な一部をなす

 

スティーブ・ジョブズの下で働くのは大変なことだ、忠誠と能力が要求され、彼のめがねにかなわないと、あっと言う間に切り捨てられる。にもかかわらず多くの有能な人間がジョブズと働きがるのは

  ジョブズと一緒なら、どこにも無い「ものすごいもの」を生みだせる気がするから

 

  その為の障害はジョブズがみごとなくらいに取り除いてくれるから

特に交渉に関しては、不可能に見える程他人任にせず、みずから乗り出し、準備をし、みずから交渉に当たる。このような覚悟と自助努力があって初めて難交渉にも勝機が見出せるといえるのだ。

 

― 内 容 ―-  

1)「言い方」は「言い分」より交渉を支配する

1)マスコミが横暴で、相手や周辺の迷惑などおかまいなしに傍若無人な「マスコミ関白」と言われることがある。アメリカでも同様だが、そのマスコミもジョブズと1対1となると逆転し「ジョブズ関白」となる。

― ジョブズがマスコミに傲慢な理由はー

  ジョブズの性格

自分が主役でなければ気がすまぬ。すべてをコントロールしないと我慢ならない。

良く言えばリーダシップにあふれ、悪く言えば自己中心的な性格のためだ。

  マスコミの無責任さ

マスコミには記録力はあるが、記憶力は無い。簡単に手のひらをかえす。

若き日のアップルの成功の時は「時代の寵児」と持ち上げ、アップルを追われネクストが不振になると「凋落した偶像」と失敗ばかり書き立てる。今度は「トイ・ストーリ」がヒットし、ピクサーの株公開で成功し、アップルに返り咲くころにはまた手のひらを返して、礼賛の記事があふれた。以来ジョブスはマスコミと距離を置いたのだった。

  宣伝戦略

気難しさは不利なように見えるが、辟易する記者がいる一方でバリアを超えて信頼関係を築けた少数の記者は無意識の内にジョブスの忠実な報道官となる

(2)ジョブズのスピーチは神技

 ジョブズの製品発表のスピーチは数千人の聴衆を何時間でも惹きつけ、魅了すする。原稿などは無く、目線は常に聴衆へ、ビジョンを信念で包んで述べ、製品を熱く語るのだ。並の社長や政治家たちと根本的に違うところだ。

わかりやすく伝えるだけでは不足で熱意や感動を込めることが大切だということが良く判る。

2)弱い味方は潜在的な敵方である。

 (1)「和」では勝てない、勝ってこそ和せる 

   ジョブズはアップル社の株式上場や『トイ・ストーリー』『バグズ・ライフ』『ファインディング・ニモ』といったメガヒットを連発したピクサー社の株式上場でも、ほんの限られた人にしかストックオプションを与えず、社内外は大いにひんしゅくを買ったことがある。

ジョブズにとって、創業の苦労をともにしたということは、さしたる価値を持っていない。

苦労や志誠に手厚く応える考えはないようだ。ジョブズはこともなげに言う。

 「過去をなつかしんで見る暇があったら、未来を見る」と。

ジョブズにとって、過去は忘れさるべきものでしかなく、受けた恩にも感謝しない。恩知らずといっていいほど情実無用である。これだからこそしがらみによって判断が鈍ることがなかったといえるのだ。

(2)いい人は結局負けてゆく

  人の功を自分の功に盗むことなどへっちゃらだ、我々は「徳」(手柄)と「徳」(人柄)の両方を欲しがるものだが、それは願望にすぎない。手柄のたてられない好人物は役に立たない。

 

ビジネスではまず手柄が最優先である、また手柄をを他人に譲るのは美徳ではない。

手柄に到るプロセスを知っているのは、近くの関係者だけであり、世間は知らないのだ。手柄のきらびやかさだけが世間の判断規準である。

「トイストリー」はピクサー社制作、ディズニーのプロモーションで大ヒットした、しかしそのプレミアショーでの手柄を独り占めしたのは、ステイーブ・ジョブズただ一人だけであり、製作者である、アニメの天才といわれるジョン・ラセターでもなく、ディズニー社でもなかった。

 人間関係や考え方の相違で、会社を辞める人がいるのは当たり前のことだが、ジョブズの場合は、必ず「去るものは、自分への忠誠を破った人間である」としてしまうところが普通ではない。ジョブズが求めるものは、「YES(はい)か、QUIT(辞める)かだ」そこには「NO(いいえ)」は無い。

 ジョブズとならすごいものを生みだすことが出来る、すごい物を生み出す経験は自分の能力を最大限に高めてくれる。能力に自信のある人ほど、ジョブズのとりこになる。しかし腕に覚えの無い人はたちまち切って捨てられることだろう。ジョブズは鋭利な刃物のような切れ味の人間であり、敵をなぎ倒し、問題を解決する過程で、まわりの味方まで切り刻むことがしばしばあり、よくも悪くも、これがジョブズ流なのである。

 

3)妥当な案より「不当な案」で交渉を動かせ

 (1)必要なら働け、「可能ならではない」 

 ジョブズは一方で完璧を追いつつ、かた一方ではスピードへの執着もすごかった。

製品開発スケヂュールにしても「何故それだけ時間がかかるのか」を理解しようとしなかった。

それが特徴である。

だから、新製品の開発などでも、不可能なスケヂュールを平気で口にできた、よくいえば、開発現場からの積み上げ算ではなく、マーケットかが欲しがる日からの逆算ともいえる。

ジョブズ自身よく働く、驚くほど猛烈に働き、猛烈にかぜぐ。当然部下にもよくはたらくことを求める。「どこにもない、世界を変えるようなものを、ごく短い期間で作り上げる」という目標で部下を奮いたたせ、長時間労働に駆り立てるのである。

 マッキントッシュは、「コンピュータの知識を持たない普通の人が簡単に使える」という大事なコンセプトを初めて製品化した。人間の自然な行動パターンにマッチしたコンピュータと言い替えてもいい。アップルは、世の中に無いバージョン1.0づくりに全エネルギーを費やしてしまう。あとの改良やコストダウンなどには興味を失う会社である。マッキントッシュも、開発段階のあまりのムチャがたたってか、製品販売とともに技術者は脱力してしまう。後継機種に力を注げず、発売時のダッシュで息切れしたあとは思うような販売成果を残すことは出来なかった。

(2)目標を高めれば能力も高まる

 ジョブズは、すぐれた才能を持っている人間を見出し、駆り立てて、高い目標を実現して、すごい物を生みだす才能にたけている。「この人間が必要だ」となれば、なんとしても口説きおとし、ゼウスのごとく立ちはだかって外敵からチームを守る。

(3)ジョブズは何故自分がつくった会社をクビになったのか。

  アップルはジョブスが20歳でガレージで始めて、10年で4000人以上が働く20億ドル企業になっていた。その経営を安定させるため、有能な経営者として、ペプシコーラの社長であったジョン・スカーリーを説得して入社させた。ジョン・スカーリはコカコーラとの味比べ(ペプシチャレンジ)などでコーラ業界でトップに立つなど経営やマーケッティングに才能あふれる人物であった。また、一方コンピューターの技術のことは、まるでわからない、ジョブズが思いどうりに出来る経営者と見込んだのだ。当初は経営と技術の両輪で非常に旨く行っていたが、売れ行きが落ち、スカーリーがペプシチャレンジと同様の手法で、24時間無料MAC貸し出しプロモーションを実施した。しかしコーラとコンピュータは異なり、販売店は返品の山となり、ジョブズの逆転ホームランに期待がかかった。だが、若きジョブズのカリスマ性は、専横的なリーダシップに変質しており、社員たちを不安と不信の渦に巻き込んで、問題解決の障害となっていた。

1985年の取締役会にスカーリーは、組織の混乱を引き起こすジョブズをマッキントッシュの責任者からはずすように提案し、了解を得た。この時点ではジョブズを追放するつもりはなかったのだが、ジョブズはただちに反撃に出て、取締役会のメンバーをひそかに反乱にさそった。察知したスカーリーは緊急会議を招集し、ジョブズかスカーリーのいずれを支持するのかの決断を迫った。結果かスカーリーが選ばれ、ジョブズは自分がつくった会社を追われることになったのだ。

 

4)最善の説得術は棍棒でたたくことだ

(1)優位にたったら交渉法をかえよ

  スティーブ・ジョブズは「ディズニー制した男」として、シリコンバレーを越えて、ハリウッドにもとどろいている。

 ディズニーは夢の王国であると同時に、キャラクタービジネスや映画ビジネスの帝国である。そのディズニーのCEO マイケル・アイズナーは「帝王」と呼ばれていた。アイズナーは苦労して頂点にのぼりつめ、ビジネスの勘は誰より鋭く、部下には忠誠を強烈に求め、信用できない部下はすぐに切り捨てる。ジョブズと一脈通じるところがある。

そのアイズナーのディズニーとの交渉は、ジョブズの真骨頂を示すものだ。

 ジョブズが買ったピクサー社はルーカスフイルムのコンピュータ部門に過ぎなかった

が、それが儲かる企業に急成長できたのは、大ヒット作「トイ・ストーリー」で、それは、1991年にディズニーがCG映画の契約をピクサー社と結んでくれたからだ。

ディズニーは自分の映画ビジネスの目的の為にピクサーの技術を必要とした、しかし

報酬はけちり、おいしいところはすべてディズニーのものになる契約内容であった。

 「トイ・ストーリー」の大ヒットを勝機ととらえ、ジョブズは契約期間が残っているにも関わらす、契約内容の大幅な見直し迫った。結果は対等どころか、優位に書き直させたのだ。要因は 「トイ・ストーリー」の大ヒットとピクサーの天才技術者ジョン・ラセターがいるという切り札を巧みに使用した。当初はライオンがねずみから喧嘩を吹っかけられた様なものだあった。 「トイ・ストーリー」の大ヒットによってピクサー社の経営状況は激変したが、普通の人のように契約に拘束されるジョブズではない。契約書など存在しないかのように、対等以上の条件を申し入れた。このムチャと思われた交渉にジョブズは勝利する。 「トイ・ストーリー」の大ヒットでピクサー社はユニバーサルなどの大映画会社から提携のオファーがひきもきらずあり、ディズニーとしては何としてもピクサー社をつなぎとめとおく必要があった。結局ジョブズに帝王アイズナーが折れたのだ。

特に、興行収入をディズニーとピクサー社で折半するという内容は、辣腕プロデューサですらも15%しかもらえないところから見るとまさに奇跡的であった。

(2)交渉相手を分断せよ

 ピクサーは「トイ・ストーリー」に引き続いて「バグズ・ライフ」「トイ・ストーリー2」「モンスターズ・インク」とヒットを飛ばし、さらに2003年には魚を主人公とした「ファインディング・ニモ」を大ヒットし、アカデミー賞ではアニメーション映画部門賞を受賞するほどだった。これによりジョブスは最高の手札を手に入れ、あらゆる映画会社がジョブズのもとを訪れた。ジョブズは映画の所有権をピクサーが持ち、ディズニーのマーケッティング力と配給網だけを費用を払って利用したいと考えていた。ジョブズは強気で交渉を続け、10ヶ月あまりの交渉を経て、2004年1月には、突然ディズニーと交渉打ち切りを宣言して、驚かせた。ここまで強気に出たのはディズニー社の中に問題があることが影響していた。CEOのアイズナーがいてはディズニーと良好な関係を続けるのは難しいジョブズは考え、アイズナーの追い落としにかかった。ディズニーの創業者一族であるロイ・ディズニー関連者対CEOのアイズナーの社内抗争に乗じて、ロイ・ディズニーと協力して、CEOのアイズナー追い落としかかった。アイズナーは株主総会で不信任案がつきつけられ、任期一年前に退任せざるを得なくなった。次のCEOは冷え切ったピクサー社との関係修復にかかり、2006年1月にはディズニーによる、ピクサー社の買収が決定する。

 ジョブズは20年前にわずか1000万ドルで買った会社は、74億ドルの価値になり、なんと700倍を超える大金をもたらしたのだ。その上ジョブズはディズニーの筆頭株主になり、取締役に就任した。

 帝王アイズナーは映画界では無名のピクサーを従えただけのジョブズに破れた理由の一つに「アイズナーはジョブズの初対面の印象を最後まで引きずったのではないか」という面を見逃してはいけない。ジョブズとピクサー社は最初こそ映画界では新人だった序々に実績を積み、急成長してゆく。しかしアイズナーはジョブズの高飛車な態度と破天荒な性格に心を乱されて、客観的にその状況をとらえられないでいる。

相手を客観視できないということは自分自身も冷静に見る余裕も無くなっていたということになる。重要な点は「ビジネスでは、戦っている相手は日々変化する」ということだ。変化に気づかない人、あるいは変化を見る勇気を持たず、初対面の印象を引きづってしまうビジネスマンや経営者は少なくない。先入観に振りまわされていては、有利に交渉を進められるはずが無く、勝機も遠おのいてしまう。

(3)ビートルズとジョブズの交渉術

 スティーブジョブズはあのビートルズとさえ、リンゴの商標を巡り、法廷闘争を繰る返してきた。最新の2006年のビートルズの故国イギリスでの裁判の判決はアメリカ人のジョブズの方が勝って世間をおどろかせた。

 ジョブズの創業した当初の社名はアップルコンピュータであり、その製品であるiPodやマッキントッシュにはかじられらたリンゴのロゴマークがついている。

  一方のビートルズのレーベルはアップルであり、ロゴはリンゴである。

酷似している2つの「アップル」は法廷闘争の長い歴史を持っている。

ビートルズのアップルレコードは1986年に創設、ビートルズの音楽資産を管理するイギリスの会社アップル・コープスは現在ポール・マッカトニー、リンゴ・スター、そしてオノ・ヨーコ、ジョージハリスンの遺産管財人によって共同所有されている。

 ジョブズのアップルは8年後の1976年に創業開始、アップルの名前は電話帳で前に載る名前にしたかったなどとたいした理由は無いが、アップルのリンゴマークは知的で優しいイメージで、アップルという社名も非権力的で親しみ易く、ファン拡大に大いに役立ったはずである。、

 ビートルズは1981年にアップルと初めて係争した。アップルがパソコン関連商品に「アップル」の商標を世界中で使える様にビートルス側と交渉し。当時約10万ドル(約1100万円)の使用料を払った。これは一方では「音楽分野にアップルは参入しない」という意思表示の意味もあった。しかし、テクノロジーの進歩に伴い、パソコンは音楽を扱うようになり、1989年アップルは音楽機能を付加した製品を発表した。

 ビートルズ側は再び提訴し、審理の結果アップルがビートルズ側に約2500万ドル(約34億円)を支払うことで、1991年に解決した、同時に、音楽事業に参入する際には、「アップル」の名称と、リンゴの商標を使わないという協定を締結しており、音楽業界への線引きが再び明確にされたのだった。

 2003年にアップルは音楽配信サービスiTMS(Time Music Store=現在はアイチューン)をスタートさせた。これは音楽に門外漢だったが、熱狂的な音楽フアンであったジョブズの信念が大手レコード会社を味方につけることが出来たのだ。

当初はiTMSスタート時にワーナーやユニバーサルなどの大手音楽会社と同じようにビートルズ側にも参加依頼交渉を行なった。しかし、ビートルズ側は1991年に交わした商標利用の合意を破るものとして、アップルを再び提訴した。

 ジョブズは「1991年の解釈に相違があったようだ。アップルのiTMSは音楽を流しているのではデータを流しているだけだ」と反論した。この審理ではジョブズの方が分が悪いように見えた、再び多額の損害賠償の支払いの判決が予想された。

の判決はビートルズの故国イギリスの法廷で行なわれた。担当の判事がiPODのファンであるというエピソードもあったが、出された判決は、一方的にアップルの勝訴であった。「アップルコンピュータは記録された音楽では無く、データを配信しているにすぎない」と仰天の判断をしめした。

(4)交渉上手はキーマン探し上手 

    優れた交渉者は、相手側のキーマンを見抜くがうまい、仮に交渉相手に決定権がなくても、なんとか「決定権者はだれか」を探り、会おうと努力する。

ジョブズが13歳のころ、電子回路の周波数を測定する周波数カウンタを作ろうと考えた。ところが肝心の部品が不足していた。このような場合は普通は親に買ってもらうのだが、ジョブズの場合はシリコンバレーで急成長し「フォーチュン500」も企業ランキングにも掲載される成功企業ヒューレット・パッカードの社長のビル・ヒューレット氏にいきなり電話をした。電話帳に載っていたというのがジョブズの言い分だが、効果はあり、部品を送ってもらえただけでなく、夏休みにヒューレット・パッカードの生産ラインでアルバイトも出来ることになった。

 ハイスクール時代では授業でバロースの部品が必要になった時に、本社に厚かましくコレクトコールで電子機器の開発の中で各社の部品を試験しており、バロース社の部品もその中に入っていると話を膨らませ、部品を航空便で手に入れた。

 (5) あきらめるタイミングなどない!

  広報と広告のノウハウの必要性を感じたジョブズはインテルの広告で注目を浴びた、広告代理店レジス・マッケンナ・エージェンシー代表者に新進のアップル社の広告をやってもらえるまで、毎日の電話攻勢をかけ、打合せ後も、アップル社と契約してくれるまでは帰らないと

人並みはずれた執念を遺憾なく発揮する。

 広告の為の資金は、ベンチャーキャピタルから断られても、しつこく食い下がり、他の資金を融通してくれそうな会社を聞きだし、ついに元インテルに勤務しマイクロプロセッサの技術の可能性を理解しているベンチャーキャピタルから資金の提供を受けることに成功する。

  アップルが成功のレールに乗るきっかけをつくったのは、トップに果敢にアタックするジョブズの厚顔無恥なほどの押しの強さと執念だった。ジョブズの性格はその後も変わることは無かった。

5)楽観は考えなしだが、悲観は能なしだ

 (1)妥協で勝利はえられない

  アップルに復帰した40代のスティーブ・ジョブズはオーディオ事業という新ジャンルへの進出で業績を伸ばしてゆく。その頂点がiPODだ。ジョブズは「執念の人」だ。それが人間関係などに向うと周囲を辟易させることもあるが、モノづくりに向うと、「ちょっといいもの」では無く「ものすごいもの」を目指すことになる。

開発に際してジョブズから出した注文は①説明書無しで簡単に使うことが出来る独創的な携帯音楽プレーヤ、②なんとしても翌年のクリスマスシーズンに間に合わせる。

開発中も毎日のようにジョブズから簡単な操作、シャープな音質、表示のスピードアップなどで注文がとんだ。2001年10月同時多発テロの1ヶ月後にアップルはiPODを発表した。これでアップルは駄目になるという悲観的な声まであったが、ジョブズがこだわった、「分厚い説明書不要で、1000曲を超える音楽が保存できる、小型大容量で音楽の楽しみ方を一変させるほどのすごい製品」は予想以上の快走を始めた。

(2)ゲイツはジョブズよりなぜ金持ちなのか

 アップルは、世の中に無いものを出す創造的作業、バージョン1.0には全力を傾ける、だが改良や品質改善といった創造的作業、バージョン2.0以降にはエネルギーの傾注を怠る。そうやって他社にまねされ、おいしいところを持っていかれた事例が多く

ある。特に独創的なOS「マックOS」はマイクロソフトのウインドウズにまねされ、あげくにシェアまで総取りされるという致命傷を負っている。企業には得意と不得意の分野があり、ビル・ゲイツのマイクロソフトは改良版のバージョン2.0が得意だ。ウインドウズは1995年のウインドウズ95発表以降は新しい技術開発は無く、ずっとマイナーチェンジでビジネスを継続している。この「改善」にエネルギーを費やすマイクロソフト世界一のソフトウエア企業になり、ビルゲイツは13年連続で世界一の金持ちになっている。

(3)iPODが売れた本当の理由

 iPODは発表からほどなくウインドズ版を出し、すぐにマック版以上のセールスを記録した。この戦略こそがiPODブームのポイントである。30代のジョブズならばウインドウズ版は開発しなかったはずだ。ハードのiPOD、ソフトのiTUNES、そして音楽配信のiTMSが三位一体となったことで、世界中の音楽ユーザがとびついた。

パソコンメーカが作った携帯音楽プレーヤーが業界標準になった。単価2万円の製品が、単価20万円のパソコンを販売していた会社の経営を立て直したのだ。

iPODがアップル社でしか出来なかった理由は経営者の力量の差と考える、すごいモノを生みだすには、現場の「ノー」を受け取らぬ鬼軍曹的な管理職が必要なのである。

(4)「自分」のやり方では無く「最高のやり方」を選べ

 アップルの初期の製品の中での快心の作は「アップルⅡ」である。20代のジョブズはこの製品の開発に際してこだわったことは

  静かなマシンであること

  ハンダ付けラインがまっすぐであること

の2点であり、雑音の原因である電源部分をファンの無い全く新方式の開発やマニア向けに好評なハンダ付けラインの正確さにこだわり、当時としては革新的なもとして受け入れられた。

その後もジョブズはさまざまなことにこだわり、その不可能な要求は、ときには才能ある人のやる気を喚起し、ときにプロジェクトを台無しにした。

(5)お金以外のプラスで相手をゆさぶれ

  音楽配信サービスiTMS事業では、音楽の大手5社である、ソニー、ワーナー、ユニバーサル、EMI、BMGすべての協力をとりつけ、業界常識をくつがえした。これは当時インターネットの進歩とファイル交換ソフトによる違法コピーに困惑していた音楽業界に対して、違法行為を減らしつつ、音楽ファンも音楽業界も満足させるという二律背反の命題に現実的な答えを提示したものだったiTMSはiPODとつないで音楽をダウンロードする。iPODに海賊版コピー対策の技術を盛り込んでいたことが、大手音楽会社を納得させる重要な武器となっていた。ジョブズは、「そうすれば、連中は交渉のテーブルに前向きに座る」とすでに読んでいたわけだろう。

ジョブズはこの交渉を、すべて自分で行なっている。

彼には「何としてもこの契約をものにする」という異常なほどに猛烈な意志と信念がある。それがあるから、交渉において高飛車、無慈悲、そしてタフであることが出来る。妥協的な好人物では「創造的交渉」はできないのだ

スティーブ・ジョブズは、「この交渉はなんとしてもものにしたい」となれば、いかに困難でも、みずから乗り出し、みずから交渉に当たる。必要な武器も自分で考え、自分で準備する。交渉が優位になるはずだ。逆にいえば、そこまでの覚悟と自助努力があって、初めて難交渉にも勝機が見出せるのだ。

(6)しなかったことを強調せよ

 ジョブズは超優良企業ピクサーの創立者であり、iPODのような世界的大ヒットを生み出したアップルのCEOだ。どれほど高額な報酬を要求してもどこからも文句は出ない。それにもかかわらず報酬に興味を示さない。まるで給与を受け取ることを嫌がっているようだ。またどんなに自社の経営が悪化しても絶対に撤退しなかった。経営する会社が無く、難しい意思決定をする必要の無い状況に自分をおくことなどは考えもしないのだ。 ジョブズのように、下手をすれば全資産を失う恐れさえある道を選択するのは、よほどの人物であろう。人はこれを鬼と呼んだり、野心家、はたまた神とも呼んでみる。いずれも俗人による呼び名だ。ジョブズの鋭利で巨大な事業願望は普通の人の理解を超える。ジョブズにとって大切なのは必ずしもお金や名誉ではない。才能のある人を集め、ときに怒らせ、ときに士気を鼓舞しながら世界をあっと言わせるようなものをつくり出すことだ。宇宙に衝撃を与えるようなものを創造する。これこそがもっともやりたいことである。得意なことであり、なによりも喜びを感じることなのだ。

スティーブ・ジョブズは、コンピュータ業界、映画産業、音楽業界というアメリカの誇る3つの産業を揺り動かし、世界中のライフスタイルに影響を与えた。それが出来たのは、お金よりも「世界を変える」ことに、すべての情熱を注ぎ込んだからである。

6.失敗とおもわなければ決定的失敗ではない

(1)つらいときこそ自分の価値がわかるんだ

 ジョブズはアップルを退社したあと創設したネクスト社もジョージ・ルーカスから買収したピクサー社も赤字つづきで、ピクサー社はコンピュータ事業部門を売却することなった。しかしいかに赤字がつづき、個人資産が減少しようと決して会社を手放そうとがしなかったのだ。ジョブズの考え方は、会社を売れば大金が転がり込むかもしれない。しかし、ひょっとしたら、自分の人生でもっと価値あるすばらしい経験をする機会を放棄していたのかもしれないというものだ。

(2)自分こそルールだ

  IBMはPCの次のOSを「ネクストステップ」に決め、アップル社と契約しようとした。

ジョブスは100ページにも及ぶIBMの契約書をクズカゴに捨て、自分と契約したければシンプルな5~6ページの契約書にしろとせまった。IBMはこれを受け入れ粘り強く交渉し契約をした。しかしその後IBMのPCの生みの親であるビル・ロウがゼロックス社に移籍し、OSはビルゲイツのウインドウズに変更されてしまった。ジョブズが余りにも強気すぎて契約までに時間がかかりすぎてししまったのだった。

(3)小粒という限界を突破する

 アップルはパソコン市場でのシェアはアメリカでは5%程度、世界では3%程度である。IBMやビル・ゲイツがコンピュータを実用的なビジネスツールと見ていたのに対して、ジョブズは違っていた。教育程度が高く進歩的な家庭や学生を最初はターゲットとしていたところがあり、これによりアップルはしゃれて、画期的なマシン作りを可能にしたのだ。また自分達をコンピュータ業界のBMWやベンツになぞらえたりもした。

アップル社はパソコンというフェンスを飛び越え、iPODや携帯電話のIphonを生み出す。面白くない携帯電話しかなかった世界にワクワクする独創的な製品で殴りこみをかけているのだ。Googleも参入を開始しており、生態系は、そこに全くいままで存在しなかった生物が飛び込んでくると進化が起こる。通信キャリアがこの世の春を謳歌していた携帯業界にも、変化の時がやってきた。

7.「待ち」は勝ちの重要な一部をなす

(1)待てば相手が変化する

 ピクサー社は本来はルーカスフイルムのCG部門に過ぎず、ジョージ・ルーカス本人は妻との離婚の慰謝料を支払う必要に迫られており、この部門の売却で充当たいと考えていた。ジョブズはこの話を聞き、すばらしいコンピュータシステム、ソフトウエア、そして人材が3000万ドルであることを聞き、喉から手が出るほど欲しかった。しかしすぐには申し込まず時期を待つことにした。売り先はディズニーとGMの2社あったが、ディズニーはCGを重要なものと考えず、買収を断り、GMはCEOの交替で話がなくなった。

買い手をなくし、緊急でお金を必要とするルーカスは、このとき理想の相手となった。

契約までは時間がかったが、逃げようとするルーカスをジョブズが執拗に追い回した。

結局、1000万ドル弱にまで値切ることに成功し、買収後新会社「ピクサー」が誕生したのだった。

(2)本当に大事なことだけが残った。

 挫折と成功の狭間を勝ち抜いたジョブズに最大の試練が訪れた。2004年に膵臓がんがジョブズに発見され、当初は治癒不可能なものと判断された。ことここに到ってはジョブズの運は尽きたかと思われたが、奇跡の復活を遂げるのだ。

膵臓がんは発見された場合は殆どが手遅れの場合が多いのが現実だが、ジョブズの場合自分自身では決して諦めず、再検査では手術で治癒可能なものと判断され、一旦は復帰したのだった。

そのときには「人生で大きな決断を下す際にもっとも助けになったことは、もうすぐ死ぬということを頭に入れておいたことだ。周囲の期待やプライド、または失敗や恥への恐怖は、死を前にすると消えさり、本当に大事なことだけが残る、自分の気持ちに従わない理由は無い」

 そして、卒業を控えたスタンフォード大学の若者たちには

「人生の時間は限られている。他人の人生を生きてこの限られた時間を無駄にしてはいけない。世間の常識などという罠にはまってはならない。他人の意見という雑音に、自分自身の内なる声をかき消されないようにすることが重要だ。そしてもっとも重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分を知っている。それ以外のものなどは二のつぎである。」

 少しぐらいの失敗、少しぐらいの挫折で自信を失ってはいけない。そしてまた、成功したから満足してもいけない。常識に足をからめとられず、やりたいと心が叫ぶものに向って自身を持って臨むべきだ。挫折から不死鳥のごとくよみがえるには、自分の信じるものに向って、周りがなっといおうと挑み続けろ。孤高の天才ジョブズは次の言葉でスピーチを締めくくっている。

「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けよ」